白堊49会(昭和49年卒)



【コニカミノルタ】個別化医療の新会社設立‐癌やアルツハイマーで新薬開発支援
8組の益尾 憲くんが「コニカミノルタプレシジョンメディシンジャパン」の社長に就任しました。金子君からの情報です。

以下引用(薬事日報ウェブサイト 2018年10月1日)
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コニカミノルタは、プレシジョン・メディシン(個別化医療)を実現する新たなサービスのグローバル展開に向け、新会社「コニカミノルタプレシジョンメディシンジャパン」を立ち上げ、10月1日から事業を開始する。昨年、米国で遺伝子診断ビジネスのトップクラスの実績を持つアンブリー・ジェネティクス、創薬支援サービスで豊富な実績を持つインビクロの2社を買収し、コニカミノルタが持つ蛋白質分子標識・解析技術と組み合わせ、分子レベルの解析が可能になり、製薬企業の創薬プロセスを支援する体制を構築。癌やアルツハイマーの創薬標的分子となるバイオマーカーを人工知能技術などを用いて探索し、個人の体質を遺伝子や蛋白質など分子レベルで層別化することで、医薬品開発のプロセスを効率化したり、開発成功確率を引き上げる支援をしていく。  新会社は7月に設立、10月1日から従業員数23人で事業を開始する。外資系製薬などで30年以上の経験を持つ益尾憲氏が社長に就任した

地方独立行政法人 岩手県工業技術センター 理事長に就任(2016/7/16)

小田島さんの情報より早く見つけました〜(笑)

8組の齋藤淳夫くんが岩手県工業技術センターの理事長に就任しました。

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ごあいさつ

地方独立行政法人 岩手県工業技術センター 理事長   齋藤 淳夫   

企業の皆様には、日頃から岩手県工業技術センターをご利用頂き、ありがとうございます。

さて、当センターが地方独立法人に移行し、この4月で満10年となり、1期を5年とする中期計画も第3期を迎え、その新たなスタートを切ったところです。

これまで、当センターでは「創るよろこび・地域貢献」と「企業の皆様と一緒に」を基本姿勢として、技術相談や依頼試験、機器貸出などの基本サービスを通じ、皆様が使いやすいセンターを目指すとともに、各種研究と事業化・商品化に向けた取組や産業人材の育成を通じて、地域企業の発展と県内産業の振興に努めて参りました。特に、平成23年3月に発生した東日本大震災津波への対応は、第2期において何よりも注力した取組であり、被災地域の経済を支える中小企業の皆様の再生に向けて、生産活動の再開と安定操業、更には、取引の拡大、新事業の創出など、関係機関と一体となって本格的な復興に向けた取組を支援して参りました。

この6月に行われた岩手県地方独立行政法人評価委員会による第2期業務実績の評価では、復興支援の取組が高く評価されたほか、基本サービス、研究開発、産業人材の育成などについても「県民の期待に応える成果をあげている」との評価を受けることができました。当期においても引き続き被災企業の皆様の復旧・復興のステージに応じたご支援に努めて参るほか、基本サービスの円滑な提供やシーズづくりにも積極的に取り組んで参りますので、是非、当センターをご利用ください。

さて、現在、世界・日本のものづくりは大きな変革期を迎えており、IoTの進展やものづくりのデジタル化、生産現場のロボット化などが急速に進められています。こうしたものづくりの革新は、製造業に止まらず、農業分野や伝統産業分野などにおいても大きな影響を与えることが想定されます。これに加えて本県においては、人口減少等に伴う担い手不足が大きな課題となっています。

このため、当センターでは、ものづくりの大きな変化や本県の抱える課題に対応できる研究開発型・課題解決型企業の創出と、「農工連携」など産業の枠を越えた取組を進めるとともに、県の産業政策と連動しつつ、研究から事業化までの取組の成果の早期事業化を図りながら、地域企業の成長に貢献することで地域社会の発展も目指します。

平成28年度は、こうした節目の年でありますが、今後とも、県民の皆様から信頼され、必要とされるセンターを目指して、企業の皆様との接点、現場を大切にしながら、より一層の技術・研究資源の充実を図って参りますので、どうぞよろしくお願い致します。

平成28年7月1日

三鉄次期社長に前県復興局長・中村氏 経験に期待(2016/5/19)

小田島新さんからの情報です。

8組の中村一郎さんが三鉄次期社長に就任される見通しです 以下、岩手日報(2016/05/14)からの引用です。

 第三セクターの三陸鉄道(宮古市)の次期社長に前県復興局長の中村一郎氏(60)が就任することが13日、分かった。同社はJR山田線宮古−釜石間の移管に向けた体制整備や利用客確保などが課題。県職員時代に復興や交通政策に携わった中村氏の手腕が期待されたとみられる。中村氏は6月に開かれる株主総会で取締役に選任され、その後の取締役会で社長に選出される見通しだ。中村氏は盛岡市玉山区出身。東京大を卒業後、1979年に県庁入り。沿岸広域振興局長や政策地域部長を経て2014年4月に復興局長に就任。16年3月に同局長で退職した。

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ごあいさつ

このたび、望月正彦前社長の後を受け、代表取締役社長に就任しました。

東日本大震災で大きな被害を受けた三陸鉄道は、多くの皆様のご支援をいただき、平成26年4月に、全線で運行再開することができました。
改めて、心から御礼申し上げます。

東日本大震災津波から5年余りが経過し、復興も目に見える形で進んでおりますが、一方で、沿線の人口減少やモータリゼーションの進展等、鉄道を取り巻く環境には、非常に厳しいものがあります。

現在、平成30年度末までの開業を目指して復旧工事が進められているJR山田線(宮古・釜石間)は、復旧後は、三陸鉄道で運営移管を受けることとなっております。
この復旧工事が完成すれば、これまで南北リアス線の2つに分かれていた三陸鉄道は一本につながります。

そのメリットも生かしながら、地域の皆様の足を確保するとともに、交流人口の拡大による地域の活性化にも貢献できるよう、社員一丸となって頑張って参ります。

今後も「笑顔をつなぐ、ずっと・・・。」をモットーに、多くの皆様に、笑顔と希望を運ぶ鉄道運営を目指して参りますので、引き続き、三陸鉄道に対する皆様のご理解とご支援をお願いいたします。

平成28年6月
三陸鉄道株式会社 代表取締役社長
中村 一郎

岩手生物工学研究センターの理事長に就任(2015/10/18)

小田島新さんからの情報です。掲載作業が遅れてしまいごめんなさい。

8組の杉原永康さんが公益財団法人岩手生物工学研究センターの理事長に就任されました

 平成27年6月19日(金)に開催された平成27年度第3回理事会において理事長に選定されました杉原永康(すぎはらえいこう)と申します。3月末までは岩手県盛岡広域振興局でお世話になっておりましたが、その前は岩手県農林水産部において農政担当技監をさせていただいておりました。一応、技術屋でございます。
 岩手生物工学研究センターと言いますと「世界に通用する技術開発により、本県の地域課題の解決に貢献する」という経営理念のもと、水稲・リンドウの品種開発、ウイルス病診断、機能性研究などの成果で地域に貢献してきたところであります。
 今回の岩手県農業研究センターが開発した将来フラッグシップ米を目指す水稲系統「岩手118号」にも生工研の技術が入っているということですから、確実に成果に結びつけている研究施設であります。東日本大震災から5年目に入ってきているところですが、本県の産業振興の強力な戦力になる施設であると期待しているところであります。ただし、そういった成果の産業化は、他の公設試、大学、企業などとの連携なしには実現できないものだと思われます。
 ぜひ、皆さんといっしょになり、岩手県を盛り上げていきたいと思います。今後ともよろしくお願いいたします。

公益財団法人岩手生物工学研究センター
 理事長 杉原 永康

ウィーン・フィル&サントリー音楽復興祈念賞を受賞(2014/03/19)

小田島新さんからの情報です。掲載作業が遅れてしまいごめんなさい。

茂木(旧姓・潮田)容子さん(5組)が代表を務める、盛岡バッハ・カンタータ・フェラインは長年の盟友である仙台宗教音楽合唱団と合同で「ドイツ・レクイエム」演奏会を開催しました。両合唱団から合わせて約150名がステージ上で熱唱しました。
なお、本演奏会は、第2回「ウィーン・フィル&サントリー音楽復興祈念賞」を受賞!とのことです

※「ウィーン・フィル&サントリー音楽復興祈念賞」は、日本の音楽文化を活性化することで、被災地および日本全体に活力を与え続けていくため、全国の団体・個人から本基金の目的に沿った活動を募集、2012年から10年間継続して贈賞するものです。受賞した活動には助成金を交付、また一部の活動についてはウィーン・フィルハーモニー管弦楽団員がコンサートや演奏指導等に参加します。

大震災の復旧復興に頑張っている同級生たち(2)(2013/04/12)

以下、毎日新聞 2013年04月11日 地方版(岩手)からの引用です。

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◇培った経験発揮の正念場 佐々木功局長(57)

 東日本大震災で被災した自治体の復興事業を支援する都市再生機構(UR)岩手震災復興支援局の佐々木功局長(57)が盛岡市に赴任し、3年目の春を迎えた。「復興加速年」とされる13年度は、住宅再建やまちづくりの事業が進展すると期待され、URの役割は重要性を増す。【金寿英】

 ・これまでの取り組みを振り返ると?

 一昨年4月に県を通じて野田、宮古、山田、大槌、釜石、大船渡、陸前高田の7市町村から復興計画の策定支援要請を受け、職員を2人ずつ派遣しました。また、盛岡には県などと調整する岩手震災復興支援事務所を設置しました。昨年4月には震災復興支援局として組織を拡充し、沿岸6市町に復興支援事務所を設置。集団移転事業の計画策定や調査設計などの業務を受託しました。あっという間の2年間でした。

 ・現在の体制は?

 今年度、いよいよ本格的に事業に着工するので、今年3月より33人増員し、134人態勢となりました。陸前高田市や大槌町などは職員を倍増させるなど、現場に手厚く配置しています。

 ・被災地では復興の遅れが指摘されています。

 一昨年は復興計画の策定、昨年は事業化の手続きなどに時間を費やしました。現地がまだ動いていないという声はよく聞き、その通りだと思います。ただ、今回は誰も経験のない質と量の事業です。高台移転やかさ上げによる現地再建、自力での住宅再建、災害公営住宅への入居など、被災者の生活再建の選択肢が幅広いためです。これから、培った経験やノウハウを発揮する正念場を迎えます。

 ・URの役割は?

 復興事業の主体は市町村ですが、あまりにも規模が大きいため、要請に応じて補完しています。区画整理はこれまでも街づくりの代表的手法なので、経験を生かし、換地や補償について地権者と交渉しながら、地元と合意形成を図りたいと思います。

 ・期待されています。

 今年は復興事業を軌道に乗せることが大事です。今月1日時点で、4市町に災害公営住宅約360戸を整備。7市町村13地区では区画整理などによる街づくり事業を既に実施しているか計画しています。私を含め、職員は県内出身者が多く、発生直後に現地に入ったため、早く地域に溶け込むことができました。古里の早期復興を願う一人として、被災者が復興を実感できる事業を着実に進展させたいと思います。

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◇ささき・いさお

 遠野市出身。県立盛岡一高、東大工学部卒業後、80年にURの前身・日本住宅公団に入社。UR東日本支社都市再生業務部担当部長などを歴任し、現職。県内勤務は初めてで、趣味は山登りなどアウトドア。家族は妻、娘2人の4人で、盛岡市に単身赴任中。
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大震災の復旧復興に頑張っている同級生たち(1)(2012/12/15)

岩手県では多くの同級生たちが大震災の復旧復興に向けて一生懸命活動してくれています。
そんな中、小田島新くんからお便りをいただくとともに、講演レジメや生々しい写真もいただきました。私一人だけで見るのは忍びなく、みなさんにも見える所に保存しますが、談話室に入るパスワードと同じものをかけておきますので、忘れた方はトップページでご確認ください。

大村論文
小田島くん撮影画像(2011/03/29)
小田島くん撮影画像(2011/04/06-07)

---以下原文---

大変ご無沙汰しております。盛岡は今朝、マイナス5度まで冷えました。岩手山も真白くなり、高松の池は大勢のハクチョウがにぎやかに鳴きまくっています。本格的な冬の到来です。こうした中、被災地は、岩手だけで4万人の方々が、4畳半2間の寒さの厳しい「仮設住宅」に暮らしたまま2度目の冬を迎えようとしております。復旧復興は遅々として進まない中、山本市長もかなり疲れがたまってきていないか、と心配です。

さて、同封した「大村論文」は、大村益男君(岩手県農林水産部技術参事兼漁港漁村課総括課長)が様々な学会や大学等で講演している、岩手の水産業の被害と復旧復興へ向けた取り組みの講演レジメです。同級生の活躍欄などに掲載いただけたらと思いお送りしました。可能でしたらよろしくお願いいたします。

また、別のCDは、小生が被災直後に被災地を回った際に撮った写真です。特に掲載希望はありませんが、被災地はガレキが撤去された程度で、ほとんど、変化前進は見られません。大震災の恐ろしさと備えの大切さを感じていただけたら幸いです。

突然のお願いですみませんでした。ぜひ、また、同窓会でお会いしましょう。
時節柄、一層のご自愛をお祈りします。
草々


村上雅人君 芝浦工業大学の次期学長に選任(2012/3/17)

以下引用(芝浦工業大学 プレスリリース 2012年1月26日 (火))
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 芝浦工業大学 次期学長の選任について

 芝浦工業大学(東京都江東区/学長 柘植綾夫)は現学長の任期満了(3月31日)に伴い、学長候補者選挙(1月20日)を実施、村上雅人教授が選出されました。1月25日開催の理事会において、同教授が次期学長に選任されました。

次期学長:村上 雅人(むらかみ まさと)56歳
任  期:2012年4月1日〜2015年3月31日(3年間)
(現 芝浦工業大学副学長 工学部材料工学科教授)

プレスリリース


高橋三男君 盛岡商工会議所副会頭に選任(2010/11/08)

盛岡グランドホテルや安比高原スキー場等を経営する岩手ホテルアンドリゾートの専務を務める高橋三男君が、盛岡商工会議所副会頭に選任されました。地域振興や経済活性化にむけて活躍が期待されます

以下引用(盛岡タイムス Web News 2010年11月2日 (火))
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 盛岡商工会議所の臨時議員総会は1日、盛岡市清水町の同会議所で開かれ、議員推薦により満場一致で新会頭に元持勝利岩手トヨペット社長(67)を選任した。副会頭には小暮信人盛岡友愛病院副理事長(64)、高橋三男岩手ホテルアンドリゾート専務(55)が新たに選任された。谷村邦久みちのくコカ・コーラボトリング社長(62)、玉山哲東山堂社長(60)は留任した。


山本正徳君 宮古市長に初当選 (2009/6/28)

以下引用(asahi.com  2009年06月29日)
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宮古市長に山本氏初当選

 宮古市長選は28日投開票され、無所属新顔で自民、公明が支援した歯科医師で前市教育委員長の山本正徳氏(53)が、前市議の坂下正明氏(57)=民主、社民推薦=と、元海上保安庁職員の八木常雄氏(66)を破り、初当選した。投票率は67・23%(前回76・36%)、当日有権者数は4万7296人だった。
 初当選を決めた山本氏は同市末広町の事務所に姿を見せると、駆けつけた地元岩手2区選出の鈴木俊一衆院議員(自民)と握手。集まった支持者らに「市民が熊坂市政の継続を願った結果だと思う」とあいさつした。
 山本氏は現職の熊坂義裕市長の全面支援を受けた。「市長は一党一派に偏らないことが市民のために大切」として政党推薦は受けず、「市民党」を強調した。  選挙戦は民主、社民が推薦した坂下氏との事実上の一騎打ちとなった。自民は市長選が次期衆院選岩手2区を左右することを念頭に置きながらも前面には出ず、「勝手連」的に支援し続けた。公明とも連携し、地元県議や市議らを中心に、精力的に活動した。
 山本氏は「財源を裏付けた小学生までの医療費無料化」や「産業創出による安定した仕事を持って、子どもを幸せに育てられる街づくり」などを公約に掲げ、有権者を引きつけた。
-------------------(中略)--------------------
 《解説》
 宮古市民は、現市政の継続・発展を訴えた山本氏を新しいかじ取り役に選んだ。来年1月には川井村を編入合併し県内最大の面積となる新市が誕生する。新市長の役割は大きい。
 山本氏は、常に熊坂義裕市長の現市政の方向性が間違いないことを強調した。また、マニフェストを出馬表明と同時に発表し、「産業立市」と「教育立市」の二つの柱を掲げ、行財政改革による財源を確保した上での小学生までの医療費無料化を一番の政策とするなど、政策が分かりやすかった。
 個人演説会でも、「確実にできることを公約にした」と説明し、熊坂市長も「安心してバトンタッチしたい」と後継であることを強調した。
-------------------(後略)--------------------



津留直彦君 自動車技術会の「論文賞」を受賞 (2008/5/22)

以下引用(日刊自動車新聞 自動車業界ニュース 2008年4月26日)
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「第58回自動車技術会賞」、22件79人が受賞―自動車技術会

 自動車技術会(大久保宣夫会長)は24日、「第58回自動車技術会賞」の受賞者を発表した。コモンレールシステムを始めとした電子制御燃料噴射装置の開発に貢献した元デンソーの藤澤英也氏の技術貢献賞を始め、計22件・79人が受賞した。
 同賞は自動車工学における技術の向上、発展を奨励することを目的に1951年に創設、今回は過去最多となる94件の応募があった。次世代エンジンへの展開が期待される予混合圧縮着火燃焼などの環境技術と安全関連、材料、生産技術などの基盤技術への応募が目立った。
 受賞は次の通り。
-------------------(中略)--------------------
▽論文賞=伊佐治和美(デンソー)、津留直彦(同)、土居俊一(香川大学)、和田隆広(同)、金子弘(三城)、論文名=前後方向の接近に伴う危険状態評価に関する研究
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2008年のGW中に津留君と会う機会があったので、ホームページ管理人のC_RAN_Eがインタビューしました(笑)

[C]まずは論文賞の受賞おめでとうございます。この年齢になっても頑張っていますね。
[津]ありがとうございます。確かにこの年では少々辛いところがあります。だけど数学の公式集を片手に現役エンジニアとして日々脳を鍛えています(笑)
[C]論文の内容についてわかりやすく説明していただけますか?
[津]前車の後を走っている時に運転者が危険を感じてブレーキを踏むのは、何を感じて、どんなタイミングなのかというのを研究したもの・・・でわかりますか?
[C]何となくわかるような・・・わからないような(笑)
[津]従来はブレーキを踏むのは前車とぶつかるまでの時間とか言われていたのですが、実際に調べてみると運転者の感覚と合わない場合が有ったのです。そこで単純に考えて、前車の面積が変化する速さを感じているのではないかという仮説を立てて検証していきました。すると追突事故のデータと安全に運転している時とをきれいに区別することが出来たんです。
[C]この研究は将来どのようなことに役立つのでしょうか?
[津]現在の車はかなり安全になってきているのは事実です。皆さんが知っているエアバッグやABSが今や車に標準装着されており、盛一在校時代に比べ飛躍的に向上しています。さらに最近は衝突緩和システムが世の中に出始めています。このシステムは衝突するという前提の中で衝突速度を低減するものです。今回の研究が進めば路面の摩擦係数にもよりますが追突事故を防止することが期待できます。我々も将来高齢化していくと、段々と運転技量が落ちてくるはずです。そんな時でも運転者をアシストしてくれるシステムを自分の定年までに世の中に出しておきたい。まぁ自分のための研究でもありますね。
[C]そんなシステムが出てくるとシステムに依存してしまい逆に危険なことになりませんか?
[津]するどい指摘ですね。確かにシステムがでしゃばり過ぎると運転者が楽をしようと依存してしまう危険性があります。そこが一番苦労したところです。そのあたりは今度の自動車技術会の春季大会で発表しますので楽しみにしていてください。
[C]肝心なところは内緒ですか(笑)
[津]守秘義務がありますから(爆)
[C]他に特徴はありますか?
[津]車からブレーキをかけるのですが、そのかける量を数式一本で演算できます。これはどんな状況でも対応できます。例えば急激に割り込まれた場合にも対応できます。この業界の中では画期的な技術だと自分では思っていますが、他の人は違うと言うかも知れませんけどね(笑)これも今度発表しますので期待していてください。
[C]商品化を期待しています。有難うございました。



和田修君、中国・日本語学校校長に(盛岡タイムス紙に登場 2005/1/25)

日本に誇りを 天津市の日本人学校長として派遣の和田さんに聞く

 盛岡市立大宮中学校の前教頭・和田修さん(49)は4月に、文部科学省から中国・天津市の日本人学校校長として派遣される。天津市は中国の首都北京から東南に約130キロ離れた工業都市。東に臨む渤海湾には国際港を備え、950万人もの人々が暮らす大都市だ。和田さんは管理職になる前は国語教諭だった。

「漢詩を中国語で朗読してその詩の素晴らしさや押韻の巧みさをより感じたい」と、漢字の故郷への派遣に国語教師らしい意気込みを話している。93年から95年までの3年間、ペルシャ湾に浮かぶ島国・バーレーンの日本人学校で初めての海外派遣を経験した。

 「バーレーン派遣の話は湾岸戦争があった後のこと。中東といえば重油で真っ黒になったペルシャ湾の印象が強くて治安への不安もあった」と離日前の心境を明かす。実際は日本人がたくさん住んでいて高値ながら日本食を食べることもできたという。だが「バーレーンはイスラム圏。宗教、文化が違い、そして言葉が違う。お互いの文化を尊重し理解に努めることが大切だ」と痛感した。

 日本人学校への派遣選考には全国各地の試験を突破した教員が集まる。教育への手法、切り口が違う教員同士が切磋琢磨(せっさたくま)する教育の場だ。和田さんは「バーレーンの経験は柔軟性を持つことと、揺るぎない信念を持つことの二面性を教えてくれた」と話す。

 その一例が生徒の安全管理の手法だ。「バーレーンで日本の常識が通じるかどうか分からないので、まず安全確認をしてから行事運営を考えた。そんな中で柔軟な対応を学びましたね」と振り返る。生徒の安全確保の大切さは中国でも変わることはない。歴史認識問題、領土問題と中国との関係が難しくなっている今だからこそ「バーレーンの経験を生かしたい」と話す。

 思春期の多感な時期、2つの国の文化を経験することは生徒によっては重荷になることも多い。バーレーン時代、子供たちから心の葛藤(かっとう)を打ち明けられたことも。そのたびに熱心に話を聞き助言を繰り返した。「 国際性を育てるには日本に誇りを持ち、自分の足元を固めることが第一歩。日本を知り自分を知った上で異国の文化をどうとらえるか。その過程で生まれてくる好奇心を育てるのがわれわれ教師の仕事です」と中国派遣の意欲を話している。


松本伸氏、盛岡タイムス紙に登場

〈盛岡の楽器職人を訪ねて〉2 松本伸さん(バイオリン)

 盛岡市本町通1丁目に弦楽器工房を構える松本伸さん(49)は、東北地方で4人しかいないという製作者の一人。国内はもちろん、世界にも例がないと自負している装飾楽器製作の第一人者でもある。昨年末には、ミケランジェロの絵柄をチェロの横板に描き込んだ新作を完成。「一つステップアップしたかな」という手応えを、今後の製作に生かそうと思っている。

 バイオリンとの出合いは北海道の大学で建築を勉強していたころ。アパートの隣の部屋に住んでいた学生が弾いていたバイオリンの音色に興味を持ち、その学生から習い始めた。

 3年生の夏休み、建築視察の目的で友人たちとヨーロッパを旅行。バイオリンのメッカといわれるイタリアでは一人で工房を巡り、職人の仕事を見て歩いた。「こういう仕事もあるんだな」と思った。
 卒業後は東京の工房に弟子入りをして、約6年間修業。1985年に戻り、翌年工房を開いた。

 装飾楽器は師匠に教わったわけではなく、まったくの独学で製作を開始。ストラディバリウスの装飾楽器などを参考にしながら、独自の装飾を生み出してきた。
 今回の新作では、ボディーの輪郭に沿って引かれるバフリングというラインを白蝶貝を使ったらでん細工で装飾。横板にはミケランジェロのシスティナ礼拝堂の天井画を基にした6つの絵柄を描き込んだ。

 絵の具はアクリルガッシュを使用。木の上は筆が滑らないため、絵柄は描きにくい。人の顔の部分は特に難しいため、なるべく目を伏せている表情を選んだ。最後に挑戦したのはみけんにしわが寄っている、とりわけ難しい表情の人物像「天体の創造(太陽と月の創造)」。微妙な曲線と影に苦労し、顔だけで5時間かかったという力作だ。

 11月に東京で開かれた弦楽器フェア(日本弦楽器製作者協会主催)で初めて発表。たちまち人だかりができるほどの人気を博し、手応えを感じた。
 ミケランジェロ、ラファエロらのルネサンス時代の絵が好き。芸術作品ではあるが、ものを細かく描き込むという描写力は当時、職人の技としての価値も認められていた。楽器を作る職人としての自分の気質に合うその仕事を、これからも製作の中に生かそうと思っている。

 工房(電話番号019−651−8862)は盛岡市の「小さな博物館」にも指定されている。場所は同市本町通1丁目16の1、カメラのキクヤ2階。


白堊通信 No.24 2004.12.22 「同窓会だより」

「白堊49会」 昭和49年年次代表 中村 一郎(昭和49年卒)

 「白堊49会」は、昭和49年春に、盛岡一高校門から飛翔した学年の同窓会です。毎年、県内を中心に、集まれるメンバーで小規模ながら同窓会を継続開催してきましたが、学年全卒業生の住所を再調査し案内しての学年大同窓会は、これまで卒業20周年、卒業25周年と、5年ごとに開催してきました。

 平成16年は、「門出の春」からちょうど30年となることから、学年大同窓会を開催することと、記念事業を実施することをかねて計画していたところです。在盛幹事の間でいろいろ検討し、母校の希望も伺ったところ、応援団の太鼓が1個壊れているので新調いただきたい旨、お話がありましたので、応援太鼓の新調とオリジナルミニM旗及び名入りオリジナル校歌手拭の作成を記念事業とすることに決め、同級生各位のご賛同を募りました。

 幸いにして、多くの同窓生のご賛同とご芳志をいただき、同窓会当日に現役応援団長以下応援団の皆さんに応援太鼓を贈呈させていただくことができ、ささやかながらも恩返しの一端を担うことができたかと、ありがたく思っているところです。自分達の子供等とほぼ同じ年代の現役の皆さんとの「ガンバレー、ガンバレー、先輩」、「ファイトー、ファイトー、後輩」のエール交換も嬉しいことでした。
8月11日にホテルメトロポリタン盛岡ニューウィングを借り切って開催した同窓会は、卒業以来30年ぶりに出席という方も多く、また遠くは関西からの出席者も含め100名を上回る盛況振りで、「ああ、愉快なり、愉快なり」という青春の迸りを想い起こす、あっという間の楽しいひと時でした。

 オープンは、49会恒例の、のっけからの校歌斉唱。応援団長佐々木和延君の「我等が校歌を高らかに歌おうではないか・・」、「イッスーッ・・・」、「世に謳われし浩然の〜・・・」、「セ〜ェッ〜」。4番までのフルコースを声を枯らしての何年ぶりかの校歌。「そこ奮闘の活舞台、そこ邁進の大天地」、にたどり着いた頃はくたくたになり、その後の乾杯のビールがひとしおでした。

 同窓会の場では、ご出席いただいた安藤厚先生、三田健次郎先生、川尻秀雄先生からは、お元気そうなご様子にて「特別授業」の激励を頂き、当時からまじめ一筋の生徒一同、大いに心新たに勉学に励む決意を鼓舞されたところでした。 二次会、三次会も引き続き盛況で、草木も眠る丑三つ時過ぎまで往時の元気を取り戻し、話は尽きず、翌日ひどい二日酔いに苦しんだ人がかなりいたとのことです。(やはり年だ!)

 昭和30年生まれの私どもは、来年が人生50年の折り返し地点。これからが、そこ奮闘の活舞台、そこ邁進の大天地だ、との気概で、「覇気だ、覇気!」を合言葉に、巉峭峙つ起伏の岨も、澎湃寄する激浪も乗り越え、忠實自彊の旗高く、50歳からの文武の海に渡る決意を新たにしています。
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